主人公をみつけた

世界の隅にいるオタクのブログ

花は散るけれど 夏はまためぐる

 

 

推しの生誕祭が終わった。アイドルとして最後の生誕祭だった。

 

これからも彼は私の知らないところで歳を重ねていくし、

彼がその日を迎えたことを彼の大切な人が祝うだろうし、

私たちもまた、直接ではないけれど心のうちで祝うだろうし、

彼もまた自分のために、決して小さくはないケーキを買うだろう。

 

来年も世界はなんの変哲もない8月7日を迎える。

 

だけど、あの夜を鮮やかな緑に染められたことはすごく幸福だったと思う。

 

無事に開催できたこと。天気に恵まれたこと。声に出して名前を呼べたこと。

愛してるよと伝えてもらえて、伝えられたこと。

全部全部、幸福そのものだった。

 

彼は今年の12月に、アイドルを辞める。

芸能の世界そのものから退いて、自分がやりたいと決めた道にもう一度進む決意をした。

 

その決意を私たちが邪魔することはできない。

それは彼らからその発表があったときに最初に伝えた言葉だ。

だけど、ずっとどこかで「どうして私たちを選んでくれなかったのか」といういじましい感情があった。

 

だけどそれは、彼自身の内側にもこびりついていたらしい。

 

「みんなと一緒にいたいという気持ちと、自分の選んだ道を進みたいという気持ちは両方とも本物だよ」

 

観客を信頼してそう打ち明けてくれたことに、私は安堵した。

そうであってくれと縋っていたいじましい自分が報われた気がした。

 

そして私はなによりも、

推しが最後の生誕祭で「アイネクライネ」を踊ってくれたことが本当に嬉しかった。

 

彼は「アイネクライネ」を踊るとき、動画と同じように上手側に最初のポジションを取り、

ステージにもうひとり、一緒に踊る相手がいるように踊った。

ああ、一緒に踊ってくれるんだ。そう感じた。

そういう意図があるのかわからないし、単純にそう覚えていたからだとは思うけれど、

私はとにかく、そこに空間があることが嬉しかった。

 

あまりにも奇跡でいっぱいに詰まっていて、本当に現実だったかもわからない。

悲しみも怒りもなく、ただただ嬉しくて仕方ない、そんな時間だった。

 

愛してるという言葉を彼は選んでくれた。

少なくとも彼と私をつなげる感情は決して恋ではない。

それをただの執着だと思っていた時期もあった。

けれど愛と呼ばずになんと呼べばいいんだろう。

 

ただ今は、彼が選んだその先が輝かしいものであることを祈るばかりだ。

あとはもう、悔いなんてないように好きなだけ暴れてくれ。

惜しむのも悲しむのも、全部あなたが最後に咲き乱れるのを見届けてからにするから。

 

 

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あなたのおかげで夏が大好きになったけど 

次の夏はきっと少し苦い